結局確かなことは、702年(大宝2)に32年ぶりで唐を訪れた遣唐使が、唐側では"大倭国"の使人として扱ったのに対して、"日本国使"と主張したという『続日本紀』の記述があります。
また、日本が「にほん」と読まれたか「にっぼん」と読まれたか、当時の漢音で「じっぽん」と読まれたかは明らかではないが、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の中の「ジパング」は、日本を「じっぽん」と読んでいたことからであろうとの説もあります。
なお、国号としての「日本」の読み方を国家的に決めたことはなく、1934年(昭和九)の文部省臨時国語調査会で「にっぽん」と呼称統一の議決をしたが、法律制定には至ってない。
「にっぽん」でも「にほん」でも読むのは自由なわけです。