山折哲雄氏は、「五壇修法は、王族や摂関家の生命的危機にたいして卓越した呪的除祓力を示す秘儀として期待され」たと述べている(「愚霊と除祓」)。
では、その五壇法の実際を、右の山折氏の論文をもとにみてみよう。
藤原道長の嫡男・頼通にもののけが愚いたときの例です。
「頼通には正室の隆姫がいたが、たまたま三条帝の皇女旋子内親王の降嫁の話がもちあがった。
隆姫を愛していた頼通はにわかに『御風』(神経系疾患)にかかり重態に陥る。
夜居僧(明尊阿閣梨)が呼ばれ、陰陽師(賀茂光栄、安倍吉平)にト占のことが依頼された。
(略)道長の指図で五壇修法が始められた。
験者(心誉僧都、叡効律師)の熱心な加持によって、多くの物怪が出現してののしり騒いだが、なかなかその正体をあらわさない。
一週間ほどして、ようやく霊媒に駆り移すことに成功し、その物怪は自分が貴船の神であると名乗る。
(略)周囲の困惑のなかで、当の頼通は失神する。
ふたたび読経、修法によるいっそうの加持祈禧が行なわれ、道長もまたみずから法華経の寿量品を読みあげて、助命を歎願する。
はじめのうち頼通は狂気の笑いを浮かべていたが、やがて強力な物怪がそば近く仕える女房にのり移る。
かの女は日頃、愚霊の経験がなかった。
その物怪の気配にはどことなくみやびなところがあり、道長を呼び寄せてかきくどく。
実は、自分は隆姫の父(具平親王ロ村上帝の息子)です。
婿である頼通に内親王降嫁の話がもち出されたため、つい娘可愛さに正体をあらわしてしまった。
(略)道長はその真情を思いやり、降嫁のことは辞退する旨を約束すると、具平親王の物怪は尊い法文を諦しつつ消散する。
ーやがて頼通の『御風』は軽快した」。
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